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沈鐘伝説

2週間ほど前、地元放送局(RKB)のラジオウォークに参加し宗像の地を11キロほど歩いた。その出発点は鐘崎の織幡(おりはた)神社だった。社名の「織幡」とは神宮皇后の三韓出兵の際に赤白の2幡を織り、これを竹竿に付けたことに因むという。この神社の参道横に直径3メートルはあろうかという大岩がある。今回はこの岩について書いてみようと思う。

織幡神社が鎮座する地「鐘崎」は万葉集にも読まれている。

ちはやぶる鐘(かね)の岬を過ぎぬとも
   われは忘れじ志賀の皇神(すめがみ)  ― 万葉集・巻7・1230

(訳)荒れ狂う鐘の岬を通過しても、わたしは忘れません、志賀島の神様を

鐘崎沖は古くから航海の難所として知られていた。そのためここを通過する船は志賀島の神に海路の安全を祈っていたわけである。この「鐘崎」という地名にはある伝説が関わっている。「鐘崎沖の海中には大陸から運ばれる途中に船もろとも沈んだ大きな釣り鐘がある」という伝説である。そのためこの地を「鐘崎」と呼ぶという。

多くの人々がこの「鐘」を引き上げようとしてきた。室町時代に宗像大宮司家代第75代領主・宗像興氏(おきうじ)は「伝説の鐘を引き上げよ」という命令を出した。捜索のすえ鐘が発見され龍頭(鐘を吊るす部分)に綱を結びつけ引き上げようとしたが、嵐となり海が荒れ狂ったため「海神のたたりであろう」として引き上げを断念した。

また江戸時代には筑前藩主黒田長政が引き上げを試み、このときは龍頭だけが鐘の本体からちぎれて引き上げられたという。

さらに大正9年に山本菊次郎という人物は巨費を投じて引き上げに挑戦し、ついに大鐘を引き上げた。ところが鐘と思った物体は30トンの大岩だった。その岩こそ織幡神社で見ることができる大岩である。

今も本物の釣鐘は鐘崎の海中の何処かに沈んでいると地元では信じられているという。

これが鐘崎沈鐘伝説と人々の引き上げ奮闘記だが、実は「沈鐘伝説」はここ鐘崎に限られたものではない。たとえば東京都墨田区の「鐘が淵」、兵庫県加古川市の「尾上神社」、青森県五所川原市「長円寺」などにも沈鐘伝説がある。これら各所の伝説はそれぞれ別の話になっている。これらの沈鐘伝説には何らかの関連があるのだろうか?それとも個別の伝承が各地に残っているのだろうか?興味深いテーマだがこれ以上の追求は今はできない。

【関連リンク】
織幡神社 ― 巨岩の写真あり
常磐津名所尽くし ― 鐘が淵の沈鐘伝説
加古川市観光協会 ― 尾上神社の沈鐘伝説
みちのく怪道まかせ ― 長円寺の沈鐘伝説

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