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小呂島(おろのしま)

私は10年ほど前から春の連休には居住する福岡県や近県の離島に出かけることにしている。今年は福岡市の小呂島に渡ってきた。「福岡市」と書いたが小呂島は渡船場のある福岡市姪浜から45キロほど離れた玄界灘に浮かぶ。渡船場から島までは65分の航程で、船は1日に1便~2便出ているのみだ。周囲3.4キロの小島だ。

私が離島を訪れるようになったのはできるだけ観光客の少ないところに行きたかったからだが、今回の小呂島行きはまさにそれにピッタリの旅となった。定員60名の船に乗り込んだのは数人の釣客と島に帰る一家族のみ。観光客らしい乗客は誰も見かけなかった。

船は能古島と志賀島を通過し、更に2年前の地震で大きな被害を被った玄海島を通過する。玄海島では多くの住宅が解体され、建設途中の住宅団地が船内から見える。玄海島を過ぎると、水平線が水蒸気でかすんでいるためなかなか島影が見えてこない。
ようやく見えてきた小呂島は玄海島とよく似た形をしている。急峻な山が海に切れ落ち平地はほとんどなさそうだ。住宅は山の斜面に作られている。

上陸した後、私は住宅の間の路地を歩いてみた。約1メートルほどの細い通りである。ほとんど観光客の訪れない島で住民とすれ違うのはなぜかばつが悪い。軽く会釈などして通り過ぎる。中には「こんにちは」と声をかけてくれる人もいてそんなときは私も挨拶を返す。

住宅地を通り過ぎると段々畑が続くところに出た。畑では女性達が作業をしている。彼女達は私の子供の頃によく見た農家の女性達が着ていた服装をしている。数十年前の懐かしい空気が辺りを包む。「ここは本当に21世紀の福岡市なのだろうか。」そういった不思議な思いが湧いてくる。

この道はこの先どこに続くのだろうか?私は事前に地図を調べずに来たことを後悔している。段々畑もなくなると道の両側は雑木林になる。その木々に何か短冊のようなものが点々と結わえ付けられている。その数は数十に達するだろう。それを見ると俳句のようなものが書き込まれている。どうやら子供達やその親、さらに教員が書き込んだもののようだ。たとえばその1枚は次のようだ。

「春の風、菜の花揺れて通学路」

そうか、ここは通学路なんだ。そうするとこの先には学校がある。短冊の中に「一臣」という署名の句が目立つ。この人は誰だろうか?
この人が何者であるかは島から帰ってから判明することになる。

しばらく進むと遠くに学校らしい建物が見えてきた。住宅地からは相当に隔たっている。子供達はこの山道をいつも通学しているわけだ。学校の校門に到着する。両側には「小呂小学校」と「小呂中学校」という看板が掛かっている。ここは小中学校合同の校舎なのだ。小さな島の学校としてはかなり広く感じる。後で調べたところではここはかつて軍の兵舎だったところだという。

学校を後にして再び海岸に出た。大小の岩が転がる海岸で弁当を食べた。福岡のコンビニで弁当を買い込んできたことは正解だった。この島に来てまだ売店を見つけることができない。食事をすませたあと岩の上に寝転がり持ち込んだ本を読んでいると、打ち寄せる波の音が心地よくいつしか眠気を催す。至福の時間が訪れる。
しかしこのままいつまでもここで寝ているわけには行かない。福岡行きの船の時間が迫っている。これを逃すと今日中に福岡に帰れなくなる。

再び船に乗り込み福岡への帰路に着く。約3時間の滞在だったが豊かな時間を過ごすことができた。また福岡での日常が始まる。


【参考リンク】

島めぐり・小呂島:小呂島に行かれる方にとって参考になるサイト。島の写真多数。

福岡市立小呂小中学校:小呂小中学校のWebサイト。ここに校長の平嶋一臣氏のページがある。おそらくこの人が上記短冊の「一臣」氏だろう。平嶋校長の多数の書き込みは小呂島について知るには大変参考になる。

玄界灘猫紀行:かつて小呂島は「猫の島」として知られていた。人口(約200人余り)より多い猫が生息すると言われていた。このページは1986年の記事で「猫たちの天国」と呼ばれた頃の島の様子が描かれている。しかし今回この島を訪れてみると見かけた猫は1匹のみだった。猫たちはどうなってしまったのか?

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